私が相続対策コンサルタントになったいくつかの理由

相続対策コンサルタントという職業は、
まだ多くの人が知らない職業です。

相続対策コンサルタントがどのような存在か、
私・相続対策コンサルタントの堀亜砂子が果たす役割については
こちらをご覧ください。
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相続対策コンサルタントとは

私・堀亜砂子は税理士資格を保有しており、
23年以上の税理士としての勤務経験があります。

そんな私がなぜ「相続対策コンサルタント」という職業を選び、
今どのような気持ちでこの仕事をしているか、
について記します。

猛烈に働いていた勤務税理士時代

※写真は本人ではありません。

大学卒業後銀行員として働き始めた私は、程なくして会計事務所へと転職します。
その後、BIG4(ビッグフォー)と呼ばれる、グローバルに展開する世界的会計事務所と提携する大手事務所で大企業向け税務・特殊税務(M&Aや事業承継、金融)・国際税務といった業務に従事していました。

日々の業務は大変な忙しさで、大きなプレッシャーを受ける毎日でした。
そのような日々の中、2000年に税理士登録をし、税理士として勤務していました。

BIG4での激務の日々は続き、気づけば私は30代半ばに。
その頃の私には、職場の同僚から誘われて何気なく行った勉強会で知り合った、3歳年下の恋人がいたのです。
優しくて穏やかな彼と過ごす時間が、私にとって癒しの時間でした。
彼のアパートが私の職場に近いこともあり、彼の部屋で週の半分以上を過ごすようになるまでそう時間はかかりませんでした。

私は彼のことが大好きで、彼も私をとても大切にしてくれて、そんな私たちは将来の約束をしたのです。

突然去った大切なあの人

その日は彼が体調不良で珍しく仕事を休むことになりました。
ベッドに横になっていた彼に頬を寄せて「行ってきます」と手を握ると、彼は少し目を細めて「優しい手…」と呟きました。
心配をかけまいとする彼の優しさを感じつつ、私は職場に向かいました。

職場に着くとすぐにいつもの多忙な業務に忙殺されましたが、時間を見つけて部屋で横になっている彼に電話すると、
「よく眠れてるよ」と穏やかで優しい声が返ってきました。
少し安心して、私はまた仕事に戻りました。

バタバタしているうちにいつの間にか日が落ち、時計を見るともう21時。
さて急いで帰ろうと思った矢先にクライアントから電話があり、緊急の対応で帰宅がさらに二時間ほど遅くなりました。

職場を出てスーパーで翌日の朝食の買い物をして帰宅すると、部屋の明かりは消えていました。
「ただいま」と声をかけても返事がなくて、眠ってるのだろうと思いリビングの明かりは消したまま、私はシャワーを浴びました。
シャワーを終えて部屋の明かりを点け、寝ている彼の姿を目にすると、なぜだかただならぬ気配を感じてしまい…
私は彼に駆け寄りました。

彼は息をしていなかったか、脈がなかったか、明らかに異常を感じる様子でした。
そこからの記憶は曖昧なのですが、すぐに救急車を呼び、
彼の携帯の履歴からまだお会いしたことのない彼のご家族に連絡したりしました。

気づいたら私は病院にいました。
彼の家族が車で駆けつけるまでの間、私は一人、彼に付き添いました。
付き添うと言っても、まだ親族でもない私は、病室の中に入ることを許されず、廊下で待つしかありませんでした。

程なくして、救急の救命措置の甲斐もなく、彼が帰らぬ人となったことをドクターから告げられました。
後からわかったことですが、私が職場でクライアントの電話を受けた21時ごろ、まさに彼はお空に行ってしまったのだそうです。

私のことを大事にしてくれた、優しくて穏やかで大好きで大切なあの人は、突然私の前から、そしてこの世から去ってしまったのです。

急に残された者の気持ちは経験しないとわからない

結婚を約束した大切な人の突然の死は、当時の私にはとてもじゃないけど受け止めきれないほど大きなものでした。
もう20年以上の時が経つのですが、あの日のことはふとしたときにクリアな映像をともなって私の脳裏に蘇ります。

人はいつか突然、この世を去ることがある。

こんなこと、小学生でも知っているような事実ですが、
つい忘れてしまうのが私たち人間です。

彼は人生をどう生きようとしていたんだろう。
私との結婚生活に、どのような思いや希望を抱いていてくれてたんだろう。
もう2度と抱きしめ合えないこの苦しさを、彼も同じように感じてくれているのかな。
一人になった私を、天国から見てくれているのかな。
この先、私はどうやって生きていけばいいんだろう。

そんな思いが、何をしていても私の脳裏を支配します。

末期がんで余命3ヶ月、というケースなら、
その3ヶ月の間にいろんな話ができたはずなのに、
あなたが急に逝ってしまったから私、大事なこと何も聞けなかったじゃない。

そんな聞き分けの悪い小さな子どものような思いを感じたこともありました。

急に残された人の気持ちは、経験していない人にはなかなかわからないのではないでしょうか?
とにかく何をどうしていいかわからず、自分の魂の半分が誰かに無理やり抉り(えぐり)取られてしまったような喪失感を感じる日々でした。

あなたの大切な人にあんな辛い思いをさせないでほしいから

あなたにも大切な人がいることでしょう。
人生を懸けて一生守ります、と約束した人がいることでしょう。
言葉にしなくても、この人のために生きたいと心に決めている人がいることでしょう。

そしてあなたのことを誰よりも大切に思っている人が、きっといるはずです。
あなたのことを心から信頼し、いついかなる時も、あなたを支え、あなたと共に人生を歩んでくれる。
そんな人が、きっといるのです。

もしもあなたが、急に人生の幕を閉じることになったら…

あなたに触れたくても、もう2度と触れることはできないんです。
あなたの大切な人は、あなたに聞きたいことがあっても、もう2度と聞けないんです。

あなたの大切な人に、あの時の私のような辛い思いをさせないでほしい。

だから、
あなたが元気で、笑顔で、大切な人と語らい、触れ合える今のうちに、
これからのことについて話しておいてほしいのです。

あなたが元気なうちに、
あなたの大切な人と共に、
これからのことを考えるきっかけになりたい。

自分がいなくなった後、
大切な人が困らないように、
今のうちから準備しておきたい。

そんなあなたの気持ちに応え、あなたとあなたの大切な人をサポートするため、
私は今、相続対策コンサルタントをしています。

これが私・堀亜砂子が相続対策コンサルタントという職業を選んだ理由なのです。

最後に

彼が私の前から急にいなくなって、もう20年近い月日が流れました。
どんな言葉を用意しても当時の私の気持ちを表現することは難しいのですが、
救いだったのは自分を責めるような後悔がなかったことです。

あの朝、目を細めて「優しい手」と言ってくれた彼。
昼間も「よく眠れるよ」と言って穏やかだった彼。

病院で最後に見た彼の表情からも、最後は苦しまず眠るように逝ったことがわかりました。

当時の私は、思いを受け継ぐ、とか、彼の分まで生きる、なんて気持ちにはなれなかったけど、
次の夏の七夕の短冊に「彼にいつか(お空で)会うために生きる」とだけ紙に書いたことが思い出されます。

もう20年もの長い時間が経ったんですね。
とても不思議な気持ちです。

「ねぇ、私、50代になったんだよ」

願わくば生きていれば同じく50代になっているであろう彼にそう言ってみたい。
そして

「知ってる。いつも見てるよ。頑張ってるね。えらいよ」

って、あの頃と同じ優しくて穏やかな声で、今の私を褒めてもらいたいな。

と、彼がいるお空を見上げてはそう思う日々です。

この記事を書いた人

堀 亜砂子

堀 亜砂子

税理士・相続対策コンサルタント
~想いと豊かさを未来へ繋ぐ案内人

税理士歴24年、法人・個人含め13,000件以上の相談対応。
個人事務所、ビッグ4税理士法人、外資系事業会社、国税不服審判所、
資産税系税理士法人を経て2023年独立。

将来を約束した恋人が30代で急死、
その後も尊敬する上司の急逝、実母の他界など、
大切な人が突然この世からいなくなる経験を重ねたことから
生前に想いをしっかり伝え合い
その日のためにできる限りの備えをしておくことの
大切さを多くの人に伝えるべく活動しています。