想いと豊かさを未来へ繋ぐ案内人
相続対策コンサルタント
堀亜砂子です!
税理士会の支部旅行で、福島県を訪れました。
一泊二日の旅の初日には、福島県双葉郡にあるJヴィレッジと東京電力廃炉資料館を見学しました。
東日本大震災と福島第一原子力発電所事故から15年以上。
ニュースなどを通じて、「復興」という言葉には何度も触れてきました。
けれども、実際にその土地を訪れ、車窓から町を眺め、バスガイドさんの話を聞いて、これまで頭の中にあった「福島」とは少し違うものが見えてきました。
サッカーの聖地から原発事故収束の拠点へ
郡山駅から貸切バスに乗って、最初に訪れたJヴィレッジは、1997年に営業を開始したサッカーのナショナルトレーニングセンターです。
現在は天然芝8面、人工芝3面、合わせて11面のフィールドを備えています。
2011年3月の東日本大震災によって営業を休止してからは、福島第一原子力発電所事故収束のための拠点として使われていましたが、2017年3月に事故収束拠点としての役割を終えました。
2018年7月からは一部営業を再開し、2019年4月に全面営業を再開しています。
現在のJヴィレッジには、サッカー施設だけでなくホテルやレストラン、会議室なども併設されています。
2026年4月には、東日本大震災から15年の節目に福島県を訪問された天皇皇后両陛下と愛子内親王殿下も、こちらに宿泊されたそうです。
センターハウス4階には、その名も「蹴球神社」があります。
「サッカーの聖地」らしいユニークな神社で、勝負事の「逆転」や「勝利」にご利益があるとされ、絵馬やお守り、御朱印まで用意されています。
お参りしようと近づくとセンサーが反応し、そばにあるビジョンにおみくじが展開されて、ちょっぴりワクワクしました。

目の前に広がるのは、きれいに整備された緑のグラウンド。
今回訪れたのが、ちょうど芝の養生の時期だったようですが、特別に中へ入らせていただきました。
芝生の上に寝転がってみたりもしましたが、これが、とても気持ちいい。
美しい緑と、柔らかい芝生の感触を楽しみながら、ここがかつて原発事故収束の前線拠点だった場所だと思うと、不思議な気持ちになりました。
一時はサッカーとはまったく違う役割を担った場所が、今は再びスポーツの場所になっている。
それは確かに、「復興」を目に見える形で感じられる光景でしたが、もちろん、その間にこの土地で起きたことまでなくなったわけではありません。
避難生活の現実と一時帰宅
今回はスケジュールに余裕がなく、立ち寄る施設も限られていましたが、バスで移動する間、ガイドさんから震災当時の話をいくつも聞きました。
その一つが、「道の駅ならは」についての話です。
原発事故後、避難していた住民が自宅に必要なものを取りに行くなどのため一時帰宅する際、この場所が中継基地として使われていた時期があったとのこと。
経済産業省の資料によれば、警戒区域への一時立入りでは、在宅時間は最大2時間程度とされ、帰る際にはスクリーニングを行うこととされていました。また、「道の駅ならは」が一時立入りの中継基地として使われていたことも確認できます。
自分の家なのに、自由に帰ることができない。
必要なものを取りに行くにも時間を決められ、帰ってきた後には身体などの放射線量を確認する。
バスガイドさんの話を聞きながら、暮らしていた場所とのつながりを、ある日突然断たれるというのはどういうことなのだろうと考えました。
災害が起きるたびに「避難」という言葉を当たり前のように目にします。
けれど実際には、毎日使っていた台所も、いつもの道も、近所の人との何気ない会話も、そこで積み重ねてきた時間もある。そうした日常を残したまま、住み慣れた場所を離れなければならないのが避難なのだと思います。
それは東日本大震災に限ったことではなく、さまざまな災害に共通することです。
自分の暮らしに置き換えてみて、あらためて胸がぎゅっと苦しくなりました。
「驕り(おごり)と過信」という言葉
Jヴィレッジの次に訪れたのが、富岡町にある東京電力廃炉資料館です。

この施設は、福島第一原子力発電所事故の事実と、現在進められている廃炉事業の状況を伝えるために設けられています。
館内では、事故発生からの経過や各号機で起きたこと、その後の対応、汚染水対策、使用済燃料や燃料デブリの取り出しなどが紹介されています。
中でも強く印象に残ったのが、施設の方にもお勧めいただき、まず最初に2階の映像シアターで見た、地震発生から原子力事故、その後の対応までを振り返る映像でした。
その中で、東京電力自らが、事故の背景にあったものとして示していた言葉が、「驕り(おごり)と過信」でした。
巨大な地震と津波に襲われたことだけが、事故の原因だったわけではない。
過酷な事故は起こらないだろうという思い込みや、これまでの安全対策で十分だという過信があり、重大な事態への備えが十分ではなかった。
事故を起こした当事者自身が、そのことを「驕りと過信」という言葉で語る映像を見ながら、とても重々しい気持ちになりました。
15年以上前、テレビの画面を通して見ていた原子力発電所の爆発事故。
その場所で実際に何が起き、なぜ防ぐことができなかったのか。
現地でその映像を見ることで、事故の大きさと重さをあらためて突きつけられたように感じました。
福島第一原発、廃炉の現在地
廃炉資料館で強く感じたのは、福島第一原発事故は決して「15年前の出来事」ではないということです。
事故そのものは2011年に起きましたが、その後始まった廃炉作業は今も続いています。
あまりなじみのない言葉ですが、「廃炉」とは、原子力発電所の運転を終えたあと、使用済燃料を取り出し、設備を解体し、放射性廃棄物を処理・処分しながら、施設を安全な状態へ移していく一連の作業をいいます。
ただし、事故を起こした福島第一原発の廃炉は、通常の廃止措置とは大きく異なります。
原子炉内に残る燃料デブリ(溶けた核燃料が原子炉内の構造物などと混ざり合い、冷えて固まったもの)の取り出し、使用済燃料プールからの燃料取り出し、汚染水対策、放射性廃棄物の処理・保管など、複数の作業を長期間かけて進めていく必要があります。
福島第一原発の廃炉工程は大きく3段階に整理されていて、現在は燃料デブリの取り出し開始以降の第3期に入っているのだそうです。
2号機では、2024年9月に燃料デブリの試験的取り出しに着手しました。
その後も内部調査や試験的取り出し、分析などが続いており、2026年になった今も廃炉作業は進行中です。
※参考:東京電力資料「福島第一原子力発電所 廃炉作業の取り組みに関するご報告」
私たちは大きな出来事が起きたときには強く関心を持ち、危機感も覚えます。
けれども時間が経つにつれて、それらはどうしても薄れていきます。
現地で展示を見ながら、「まだ終わっていない」という、ごく当たり前のことをあらためて思い知りました。
今回、廃炉資料館の見学時間は十分とはいえませんでした。
公式案内によると、すべての展示を見学する場合には3~4時間程度が目安とされていますが、とてもそこまで時間を取ることはできませんでした。
だから、ここにはあらためて訪れたいと思っています。
今度は時間をしっかり取って、一つひとつの展示をもう少し丁寧に見たい。
そして、できることなら、福島第一原子力発電所そのものも一度自分の目で見てみたいと思うようになりました。
東京電力では現在、福島第一原発構内を視察する「視察・座談会」を実施しています。
ただし、一般向けの現在の募集は、原則として福島県在住者、または2011年3月11日時点で福島県に住んでいた人などが対象です。
私が個人でそのまま参加できるものではなさそうですが、別の視察機会も探ってみようと思います。
今回の見学は、何かを「見て理解した」というよりも、もっと知りたいと思う入口になった。そんな気がしています。
「復興」とは・・・?
今回の旅で、「復興」についても深く考えさせられました。
Jヴィレッジのように、以前の役割を取り戻した場所があります。
それは間違いなく復興の一つの姿でしょう。
ただ、福島では今も避難指示が残る地域があります。
原発事故直後、福島県内の避難指示区域は県土の約12%に及びましたが、現在は約2.2%まで縮小しています。
避難指示解除準備区域と居住制限区域はすべて解除され、現在も避難指示が残っているのは基本的に「帰還困難区域」です。

帰還困難区域の中でも、2022年から2023年にかけて「特定復興再生拠点区域」の避難指示は順次解除されました。
その外側には今も避難指示が続く地域があり、現在は「特定帰還居住区域」を設け、帰還を希望する住民の生活圏を中心に除染やインフラ整備が進められています。
ただ、区域として「戻れる」ようになることと、人が実際に故郷へ戻ることは、同じではありません。
避難生活が長くなれば、避難先で仕事を始め、家を構え、子どもが学校に通い、人間関係もできます。
たとえ避難指示が解除され「戻れる」ようになったとしても、そこで築いた生活をもう一度動かして故郷へ戻ることは簡単ではありません。
そのため、今も各自治体では、住民が将来どこで暮らしたいと考えているのか、何があれば帰還できるのかといった調査が続けられています。
大熊町でも、2025年度に現在の居住状況や帰還意向、帰還に必要な施策などを尋ねる調査が行われました。
バスガイドさんからも、避難先、特に都市部などで新しい生活ができれば、その後故郷へ戻るのは簡単ではない、という趣旨の話を聞きました。
「復興」という言葉からは、道路や建物が整い、町に人が戻っていく姿を思い浮かべます。
けれど、長い避難生活の中で、それぞれが別の場所に新しい暮らしを築いてきた現実があります。
元の町が整備されても、それだけで以前の暮らしまで戻ってくるわけではありません。
そこに暮らしていた人たちが、その後どこで、どのように生きていくのか。
戻る人。
戻らない人。
戻りたくても戻れない人。
そして、新しくその土地で暮らし始める人。
そうした一人ひとりの時間や人生まで含めて考えなければ、本当の意味での復興は見えてこないのかもしれません。
ニュースやテレビで知っていた場所
バスガイドさんの話を聞いているうちに、これまで別々に知っていた地名や場所が、少しずつつながってきました。その一つが浪江町です。
浪江町といえば、日本テレビ『ザ!鉄腕!DASH!!』の「DASH村」があった地域でもあります。
そして海沿いには、東日本大震災の津波によって大きな被害を受けた浪江町立請戸小学校があります。
請戸小学校は、現在「震災遺構 浪江町立請戸小学校」として保存・公開されています。
浪江町では、地震と津波による被害だけでなく、原発事故によって震災後もその姿を残すことになった校舎を、震災の脅威や教訓、地域の記憶を後世へ伝える場所として保存しています。
2021年10月から一般公開され、2026年6月には来館者が30万人に達したそうです。
今回、請戸小学校には立ち寄っていません。
それでも、「浪江町」「DASH村」「福島第一原発」「請戸小学校」と、
それまでニュースやテレビの中で別々に存在していた名前が、現地を移動することでつながっていきました。
それぞれの場所は、地図上の点として存在しているわけではありません。
その間にも道路があり、町があり、そこで営まれてきた暮らしがある。現地を訪れて、そんな当たり前のことをあらためて実感しました。
現地へ行くことで見えてくるもの
今回の旅行で、震災に深く関連する場所として実際に見学できたのは、Jヴィレッジと東京電力廃炉資料館の二か所だけです。
それでも、そこまでバスで走り、町の風景を眺め、バスガイドさんから震災当時の話を聞いたことで、ニュースや資料からは伝わらないものを感じ取ることができたような気がします。
きれいに整えられたJヴィレッジの芝生の上にうつぶせになり、心の底から「気持ちいい」と感じました。
かつて原発事故収束の拠点だった場所が、再びスポーツを楽しむ場所として使われている。
その姿には、確かに復興を感じます。
けれど、同じ福島では、福島第一原発の廃炉作業が今も続き、故郷を離れたまま新しい暮らしを築いている人たちもいます。目に見える形で進んできた復興と、今なお続いている課題。
その両方が同時に存在しているのが、今の福島なのだと思います。
「復興」という言葉だけでは簡単に括れない時間が、この土地には今も流れているということを、今回の旅で知りました。
失われたものを抱えながら、その先の暮らしをどうつくっていくのか。
事故の記憶をどう残し、そこから何を学び、未来へどうつないでいくのか。
15年以上が経った今も、その時間は続いています。
福島で見聞きしたことを、今回だけの旅の思い出で終わらせず、もう少し知っていきたい。
そして、近いうちにあらためて、ゆっくり時間をかけてこの場所を訪れたいと思います。
【お知らせ】
このたび、書籍『“なんとなく気になる”が、最初の一歩~大切なのは心をつなぐ相続~』を出版しました。
相続を、財産や手続きだけでなく、想いや愛情を未来へつなぎ、今を大切に生きるための機会と捉えた一冊です。
相続について「なんとなく気になる」と感じたときに、ぜひ手に取っていただけたら嬉しいです。
“なんとなく気になる”が、最初の一歩 ~大切なのは心をつなぐ相続~

「突然の別れ」は、誰にとっても他人事ではありません。
だからこそ、“その時”が来る前に、できる準備を。
あなたやご家族の大切な想いを、
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